働くうえで大切にしていたことが、実は自分を苦しめていたり

9月も後半に入り、気温もぐっと下がってきた。

季節の変わり目には体調を崩す人が多いけれど、僕の周りでもそんな人がちらほらと。

 

来週からの新しい職場に向けて、お休みもあと数日です。

けれど、この時期になっても、やっぱり「何もしていない日々」の罪悪感を感じてしまいます。

ゆっくり朝寝坊できる日だってもう限られているのに、朝には寝てたい自分と起こしたい自分が戦っているのが分かります。笑

きっと「なにもしていない日々」を楽しめるようになるにはもっと自分と向き合って、許していく必要があるようです。

 

また新しく働く前に、今までの自分の働き方を棚卸してみる。

今までのキャリアにあまり不満はないし、直近の異動以外はとても良い仕事人生を送っていたと思います。

だけれども、働くうえでずっと「邪魔にならないように頑張る」という言葉が心の底にあった気がします。

 

新入社員の頃に営業をしていた時は、同期よりも大きな仕事を、早くとるとか、

自分の年収分の収益は絶対に売り上げたいとか。

そういったことを考えていたし、売れずに怒られる同期を見て、心の底では見下していたような気もします。

少しでも貢献しているからこの会社にいても良い。

そう考えて、幸い結果もなんとかついてきていたような感じです。

 

そして、転職後には職場で断トツで若手でした。

若手だけれども、だれよりもちゃんと仕事をこなしたい。年だけ取って仕事のできない上司より、効率よく、残業少なく働いて、コスパの良い社員でいる。そればかり意識していました。

効率良く働いて、成果を出すから先輩にも強く反発できる。

そんな風に考えていました。そして今も気を抜くとすぐにそんな風に考えてしまいます。

 

僕の中にある「成果を上げるから、そこにいて良い」という考え、これがきっと自分を苦しめていること。それは今回の体調不良ですごく実感しました。

たぶんバリバリ働いて、成果を上げまくっている人は同じような考えをしているような気もします。

でもその考えって裏を返せば、

「成果を上げられなきゃ、そこにいてはいけない」ってこと。

そう考えている人は、成果を上げられない人を見下してしまいます。

そしてそういった人の中に「達成されなきゃ罰せられるべき」という考えがあると、パワハラになったりするのでしょう。

一番嫌いな人と自分が表裏一体だと思うと、悲しくなりますが、なぜそういった人を恨むのかという答えでもある気がします。

「人は自分のなかにある認めたくない部分を、自分以外に見つけるとひどく憎悪する」

まさにその通りですね。

 

自分の過去を振り返ってみると、この信念はどこからきているのやら。

きっと幼い頃から母親が兄に付きっ切りで、自分は邪魔にならないようにしていないと、一緒にどこへも連れて行ってくれないと考えていたので、

ずっと昔からの根が深い信念のようです。

 

これからは、この考えを少しゆるめて行って、いつか手放したいと思います。

人間には良い時があれば悪い時もある。だから常に成果を出し続けることなんてできないし、する必要もないのです。最初はみんなうまくいかないのだから、そのうち80点が取れればよい。

それに仕事の成果と人間としての価値は全く関係ないもので、仕事ができないからといって自分の価値がないわけじゃない。

そんな風に考えているのは自分だけで、ほかの人はもっと多様な考え方を持っているはず。

 

つまずいた事だけを悔やんでも仕方ないし、何につまずいたかをちゃんと考えて、改めていけば良いのでしょう!

人間は変われるはずですしね!

 

ゆっくりした速度がとても大切

人間とはとても不思議ですね。
職場での異動を機に、心が不調になり、適応障害と診断されたのが2か月前。
今思い返せば、あの時の身体の不調が嘘だったかのように感じます。

 

あの時は、日々仕事に行くことが苦痛で、一人の先輩の顔を見るのも嫌で嫌仕方がなかったです。
職場でトイレに駆け込み、なんとかその場をしのいでいました。
毎週末の早朝出勤にも意味が見いだせず、安定とは程遠い日々だったはずなのに
いまはその感覚をうまく思い出すこともできません。
あの辛い時を思い出せないのはとても良いことのようにも思えるし、忘れてしまうことは怖いことにも思えます。

 

ここまでの2か月は本当にゆっくり休めた気がします。
もちろん最初のころは、休みが長すぎることに罪悪感を感じて、
いろいろと勉強をしたり、意味のある休みにしなきゃと必死になっていました。
そこからお盆を挟み、今はだらだらと日々を過ごし、のんびりしています。

 

「適応」ということを考える良い機会でもありました。
生きていくために仕事をしている以上、ある程度の我慢も必要だし、理不尽にも耐える必要があると考えていましたが、
やはり我慢と理不尽だけの日々や場所には人間は耐えられないのだと思います。
もちろん、我慢にも意味を見出すことができれば良いのでしょうが、それさえできない環境では人間はおかしくなってしまう。

 

僕の場合も異動した職場が全く合わなかった。
自分の信念や価値観とまったく違うことを強いられるのがとても、苦痛だったなと思います。
クリック一つで完了できる仕事を手作業で行い、何時間もかける非効率的なことや、
何十年も前の仕事のやり方を今も継承し、変化を起こさない時代錯誤な働き方も本当に嫌でした。そういった環境で、さらに出口も見えず、とても消耗していっていたことを思い出します。

 

 

友人に言われた「環境に適応というけど、おかしな環境に適応できず体調を崩すのはまともな人間なのでは?」という言葉がその通りだと思います。

 

来週から新しい職場で働きだします。
久々に働くということ、さらに今までと全く違う業界ということもあり、ワクワク感と不安感がとてもあります。
次の場所でもうまくいかなかったらどうしようと考えることもあります。

 

まずできることは自分に自分自身で必要以上にプレッシャーをかけないことですね。
転職してすぐに100点が出せるとは思わず、1~2年かけて少しずつ仕事に慣れていけるように、
意識してスロースタートにしようと思っています。

 

そして、次の職場でなにか不安になることがあれば、時間をかけて認知行動療法スキーマといったもの照らし合わせて対処していこうと思います。

人それぞれが持つ世界観によって、人生を楽しめるかはずいぶん変わる

人それぞれに世界や人生に対する、固有のイメージがあると思います。

もちろん本人はそのイメージを「事実」として捉えているので、なかなかそれに気づき、変えていくことは難しい。でも、意識をしていけばきっと変えていけるはずです。

 

例えば、僕の知人にも実に様々なタイプの人がいる。たとえば

 

・勝ちか、負けか。尊敬されるか見下されるか

僕からみるとこのような世界観を持っている女性の後輩がいます。彼女は後輩にはとても厳しく、モラハラ寸前のようなダメ出しをしたかと思うと、先輩からどやされると顔面蒼白で、フリーズしてしまう。

いわゆる全か無か。All or Nothingで考えているので人のことを好きか、嫌いかという感じです。

こういった人は自分に対しても「有能か無能か」とか「好かれるか嫌われるか」という価値観を持っているので、すごくストレスがたまることになります。その結果、外の世界の好きな人には甘えまくり、嫌いな人は攻撃しまくるといった感じに。

幼いころにテストで100点取ったら褒められ、90点じゃ怒られたとかそういった環境で育ってきたのかなと想像します。

そして僕もこの傾向が強い。笑

 

・世界は怖い、なにがあるか分からない。

僕の友人にこの世界観を持った人がいます。その人は何をするにも不安ベースで行動していて、アパートに帰宅するとき近くに誰かいれば、玄関を通り過ぎて近所を一周し玄関へ。地震や洪水が怖くて、少しの揺れでも夜中に飛び起きてしまったり。

とにかく少しでも体調が悪いと病院に行き、検査をしてもらわないと不安で仕方ないようです。

もう少し余裕を持って、世界でリラックスして楽しんでも良さそうに見えるのですが、やはりなかなか不安は拭えないようで。

 

一部の例だけど、こういった世界観ってあまりバランスの良いものとは言えません。このような世界で生きていると、安心してリラックスするということがなかなか難しくなってしまうし、一つそのイメージにあった出来事があると、それを例外ととらえず、よりイメージを強くしてしまいます。

 

一度自分のもっている世界観を観察・検証してみると気づきがあり、とても楽になることも多いかもしれません。もちろん気づいたところですぐには変える事はできないかもしれないけど、気づくということはとても大切。気づくことができれば変わることも時間をかけてできるはず。

自分がどんな世界観にとらわれているか観察する。

そのとらわれに一つずつ気づく。

それにうんざりする。

もういい加減にしたいと思い、新しい世界観を作っていく。

 

【適応障害】ストレスとうまく付き合っていけるように

10月からまた会社で働くことが決まっています。

ずいぶん長く2か月以上休みを取っているので、身体はだいぶ回復してきました。

(といっても、今月2週連続でウイルス性胃腸炎にかかるは、保険の任意継続の手続きが完了していない状態で歯の詰め物取れるわで大変。笑)

 

今までとは違い、また一般企業で働くことにワクワクもしつつ、また適応障害になってしまったらと不安も抱えています。

ストレスへの対処ということで、もともと自分の心理や対処方法などに結構気を付けていたので、適応障害を患ってしまったというのは個人的に結構ショックで、少し引きずっています。

適応障害」への対処で一番良いのは環境をかえること

そのように書いてある本もありますが、環境面と自己内面、両面のアプローチをするに越したことはないでしょう。

 

もともと、コーチングやカウンセリングを通して、また心理の本を大量に読んでいたこともあり、「認知行動療法」や「スキーマ」というものの理論は知っていたのですが…

どうしても今まで、認知行動療法的が自分に効果があるように感じたことがなかった。けれど、ストレスへの反応として今回体調を崩したということもあり、今一度学んでみようと必要性を感じ、この本を読んでいます。

 

ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1

ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK1

 
ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2

ケアする人も楽になる マインドフルネス&スキーマ療法 BOOK2

 

 

頑張りすぎてしまう人や、人の期待に合わせすぎてしまいストレスを感じてしまう人。僕のように、人の価値観に合わせられないと罪悪感を感じてしまう人は、思考や認知に偏りがあります。

まずは自分の心や状況、五感をマインドフルに受け止めていき、そして自分の思考をあるがままに受け止める。そうすることで自分の思考の癖に気づき、もっと現実的で優しい物の見方を身につけていく。といった内容の本です。

上のように書くとすごく簡単な本のように感じますが…笑

内容はすごくわかりやすく、しっかり思考の癖やスキーマの一覧などがあり、読むだけで少しセルフカウンセリングにつながる内容でした。

 

マミコさんという架空の人物のカウンセリングや過程を通して、内容が進められるのですが、共感できるところが多く、読んでいるとマミコさんと自分がリンクする際などは非常に心が動き、「本を読んでいる」「理論を読んでいる」とは違う感覚で読むことができました。

 

「認知の偏り」「スキーマ

こういったキーワードから自分の思考をより知り、次の職場でのストレス対処につなげていこうと改めて思いました。

どうしても適応障害になってしまうような人は自分で自分を追い詰めてしまうような気がします。けれど本人は「追い詰めている」ということに気づけず、その正体も分かりません。

こういった本を読んで少しでも俯瞰して、自分に優しくしていこうと改めて決意をしました。

大学生で将来やりたいことが分からないのはしょうがない

日々大学生と接することがあり、少しだけれども先輩であるということで、就職活動やキャリア選択の相談に乗ったりすることがあります。

そして、誰しもが「将来やりたいことが分からない」と言っています。

 

そりゃそうだよね…社会人を何年かやってきたけど、僕でさえまだ何がしたいかなんて分からない。なのでそう焦る必要はないのではないかとも思います。

 

けれど、実際に選択の場に立っている人は焦っているわけで、なにかヒントを探しているのでしょう。

 

けれども今の学生や自分の経験を通して、日本の学生が「やりたいことが分からない」って当たり前のような気がします。

僕らの世代はいわゆる「ゆとり世代」だけれども、学校生活の中で「何がしたいか」なんて問われたことが一度もない。もちろん、学校以外の場でそういった経験ができている人は多くいると思います。

自分が幼い頃から両親が理解してくれ、興味を持ったものをやらせてくれたり、そういって育った人はとても幸せだと思うし、自分の欲求や興味をちゃんと理解できるように育っていると思います。

 

けれども、今の日本でそういった育ち方をしている人はマイノリティのように感じています。毎年多くの学生と話すけれども、どこか自信がない人が非常に多い。

自分がなにをしたいかということを考える機会も与えられなかったのだから仕方がないのではないでしょうか。

 

幼い頃から両親は共働きで、一人で留守番をしていたりする。そうすると寂しくて泣いたってしょうがない、親に迷惑をかければ嫌な顔をされてしまうでしょう。そうすれば、本当はパパ・ママと遊びたい気持ちなんて邪魔なだけで、迷惑をかけないことが一番大切だったり。

 

中学校から受験をする人も多くなっているようです。でもそれって本当に受験がしたかったのでしょうか。もしかしたら、もっと漫画を読んでいたいけど、両親から「将来日本はどうなるか分からないから、少しでもいい学校に行くことがリスクヘッジなの」と言われ、受験をしていたのではないでしょうか。

 

学校なんて行きたくないし、できればどこか山に行って釣りをしたいと思っていても、学校に行かないことを選択した時点で、普通のレールから外れるし、そんなことをしたら両親を不安にしてしまう。父親の会社だって大変そうだし、迷惑にならないようにしよう。

 

大学で勉強したいとは思わないけど、みんな進学するし、母親と幼い頃から海外ドラマを見ていたのである程度英語は好きだから、外国語学部行こうかな。

 

そんな感じで、自分の本当にやりたいことに目を向けることがなかったし、ある意味許されてことなかったのです。

それであればいきなり就活で、自分のやりたいことを見つけるなんて絶対できないはずでしょう。インドにバックパック背負って行っても、自分は見つからないはず。

 

インドに行く、起業する、NPOの手伝いをする

そうやってなにか探しているけれど、それは自分を探しているというよりは、自分の核になにもないから、せめて外見だけでも良くしようとしているだけなのではないかな。

 

自分が本当にやりたいことってもしかしたら、

家の庭で家庭菜園をするとか、映画を見るとか、歴史を調べるとか、そういった地味なものかもしれないでしょう。

けど、そういった自分を見つけてもカッコよくないから認めなかったり、重要視しなかったりしてしまう。そうすれば、本当にやりたいことはよりぼやけてしまいます。

 

インドに行く前に数日間フラットな環境や心理で、自分はなにをしている時が好きかなって考えてみる方が近道だと思います。(アメリカの長距離バスで13時間ぼーっとしているのも近い経験だったので、旅も悪くはないと思う。笑)

仕事をしていないという状況になにを思うか

適応障害で仕事を休み1か月以上が経ちました。

幸い10月から新しい職場で働きだすことが決まっているので、あと1か月はお休み。

先日心療内科へにも行き、早い段階で仕事を休んで次も決まっているので、大丈夫でしょうということで、病院も終わり。

前職の職場のデスクも片づけ、挨拶周りや退職手続き関係も一通り終わったので、ひと段落という感じです。

 

次の職場が決まっているにも関わらず、「仕事をしていない」という状況にソワソワしたり、若干の罪悪感を感じたりしてしまいます。

なので次の職場が決まっていなかったり、復職のめどがたっていない人なんかはきっともっと辛い思いをしているだろうなと思います。

もちろん、仕事しなくていいなんてラッキーじゃん!と思う方もいるとは思うのですが…適応障害うつ病で休むことになる人は、頑張り屋さんが多いと思うので、このサボっているように見えてしまう状況(本当は休むことも必要なことで、サボりではないのだけど)は結構つらい。

 

そしてやっぱり、人間って不安と付き合って生きているわけで、先のめどがたたない状況っていうのはとても、不安だと思います。

いままでは体調が少し悪くても会社にいったり、休日でさえなにかしなくちゃとランニングしたり、スクールに通ったりしたりしていた人がいきなり「はい休んで!休職!」となってもそりゃ休めないよね。

自転車に乗ったことない人が当たり前のようにいきなり乗れるわけではないし。やはり、休むことをずっつ幼い頃からしていなかった人がいきなり休めるわけではないと思います。

 

なにもしないで部屋でごろごろしている不安感と折り合いつけるところから始めていきましょう。なぜ、罪悪感を感じるかとか、なぜなにかしなくちゃと思うのかと、自省してみるときっと、いくつかのパターン化された思考が見えてくるはず。

・人と違うことへの不安

・なにか価値のあることをしていないといけない

・働けないなんてダメな自分

 

そういう思考を丁寧に拾い上げて、観察して、現実的かを検証・検討してみることで少しずつ休めるようになるのかも…

少なくともそれが自分の認知を観察することに繋がり、現実的な認知を獲得していく手掛かりになると思います。

 

そんな僕も、そろそろぼーっとしてられないと思い、

会計やWeb、心理の勉強をしてしまいます。

心から休めるようになるころには、きっと、生きづらさも薄くなっているのだろうな。

【働き方】部署の中でボトルネックになる人の特徴

自身の経験からも、働くうえでの部署や環境はとても重要だと思っています。

サッカーのスタープレーヤーでさえ、チームが変わったり監督が変わるだけで、活躍できなくなったりしますよね。

どうしても私が働いていた場所ではそういった「マネジメント」の観点が抜けている上司ばかりでした。唯一マネジメントができた転職組の上司は、すぐに辞めてしまいましたし。

 

もちろんマネージャーとして、部署をマネジメントするうえで大変なことが多いのはどの企業でも同じだと思います。けど、マネジメント一つで、業務の効率や処理量が変わるのであれば、積極的にメンバーに働きかける必要があると思っています。

そして、どこの部署にもいる、ボトルネックになる人材にはいくつかパターンがあると思っています。

私が経験したそんな人材をいくつか紹介します。

 

なにかを変えることが怖いひと

割と年齢が高い人に多いかと思います。今までのやり方を変えるのが怖い人がいます。

そういった人って「今までこのやり方で上手くいっていたから」と考えているようですが、はたから見るとうまく機能していない業務でさえそのように考えているようです。

そういった人に新しいやり方やシステムを提案するのって本当に難しい!

いくらこちらが合理的に説明しても、受け入れるキャパシティがないので、逆ギレしてきたりします。

ただそういった人がいると、業務の幅が広がりません。その人は10年前から同じやり方で同じ業務を行っているようですが…普通に考えると10年間進歩がない、10年間業務の質・量ともに変わっていないのってやばくない?

 

時間で労働量を計るマン

残業ありきで業務を設計している人です。もちろん業界によっては、ある程度仕方ない部分もあるかと思うのですが、定時以降に仕事しだすやつっていますよね。

しかも、「自分は残業しているんだ!」と胸張ってますので、人より仕事していると勘違いしまくっていたります。そういう人は逆に定時で帰る人にマウンティングしてきたりします。本当に厄介。

営業であればある程度の成果を数字で換算できるので、こういった残業するけど成果上げない人ってバレやすいのですが…事務系だと労働量を計る指標があいまいだったりするので、こういうやつが増えます。

 

業務抱え込みまくって、私がいなきゃダメっていう人

新入社員の時はある程度仕事が自分について、残業が増えていくと、自己価値観のようなものにつながることがあります。それは一過性のものとしては良いと思うのですが…

いつまでもそれをやっている人っていますよね。

僕個人としては、複雑な業務を簡素化する→誰でもできるように標準化する→それを自分以外の人に渡していく。これができる人が一番かっこいいと思っています。

ただ、「この仕事は私にしかできない、私ばかり仕事が増えちゃって大変だわぁ…今日も残業、明日は休日出勤。でも私がいないとこの仕事は回せないからね☆」みたいな腐った自己肯定感をもっている人は早くやめてください。

そういう人は業務を複雑化する→他の人がその業務をする際に自分ルールで厳しく縛る→バカバカしくなって新しい人が業務をやめる→「やっぱり私しかできないのね☆」ってなる。

 

そして、こういった人たちに共通しているのは、自己価値観や劣等感など、メンタル面で抱えているマイナスが大きいということだと思います。

自分がそのまま生きていて価値ある人間と思えないので、

・人より働いている=価値がある と思いたい

・働く以外で時間の使い方が分からない

そういった心理的なことが大きく影響しています。

 

なのでマネジメントするのはめちゃくちゃ難しい。業務のフローなどであれば仕切りを入れることはできるけど、気持ちまでアプローチすることって難しいですから。

ただ、そういった人材育成までアプローチしている会社がとても成長していると思います。

表面的な問題の裏にあるものまで想像できるマネージャーがとても求められていると思います。