大学生で将来やりたいことが分からないのはしょうがない

日々大学生と接することがあり、少しだけれども先輩であるということで、就職活動やキャリア選択の相談に乗ったりすることがあります。

そして、誰しもが「将来やりたいことが分からない」と言っています。

 

そりゃそうだよね…社会人を何年かやってきたけど、僕でさえまだ何がしたいかなんて分からない。なのでそう焦る必要はないのではないかとも思います。

 

けれど、実際に選択の場に立っている人は焦っているわけで、なにかヒントを探しているのでしょう。

 

けれども今の学生や自分の経験を通して、日本の学生が「やりたいことが分からない」って当たり前のような気がします。

僕らの世代はいわゆる「ゆとり世代」だけれども、学校生活の中で「何がしたいか」なんて問われたことが一度もない。もちろん、学校以外の場でそういった経験ができている人は多くいると思います。

自分が幼い頃から両親が理解してくれ、興味を持ったものをやらせてくれたり、そういって育った人はとても幸せだと思うし、自分の欲求や興味をちゃんと理解できるように育っていると思います。

 

けれども、今の日本でそういった育ち方をしている人はマイノリティのように感じています。毎年多くの学生と話すけれども、どこか自信がない人が非常に多い。

自分がなにをしたいかということを考える機会も与えられなかったのだから仕方がないのではないでしょうか。

 

幼い頃から両親は共働きで、一人で留守番をしていたりする。そうすると寂しくて泣いたってしょうがない、親に迷惑をかければ嫌な顔をされてしまうでしょう。そうすれば、本当はパパ・ママと遊びたい気持ちなんて邪魔なだけで、迷惑をかけないことが一番大切だったり。

 

中学校から受験をする人も多くなっているようです。でもそれって本当に受験がしたかったのでしょうか。もしかしたら、もっと漫画を読んでいたいけど、両親から「将来日本はどうなるか分からないから、少しでもいい学校に行くことがリスクヘッジなの」と言われ、受験をしていたのではないでしょうか。

 

学校なんて行きたくないし、できればどこか山に行って釣りをしたいと思っていても、学校に行かないことを選択した時点で、普通のレールから外れるし、そんなことをしたら両親を不安にしてしまう。父親の会社だって大変そうだし、迷惑にならないようにしよう。

 

大学で勉強したいとは思わないけど、みんな進学するし、母親と幼い頃から海外ドラマを見ていたのである程度英語は好きだから、外国語学部行こうかな。

 

そんな感じで、自分の本当にやりたいことに目を向けることがなかったし、ある意味許されてことなかったのです。

それであればいきなり就活で、自分のやりたいことを見つけるなんて絶対できないはずでしょう。インドにバックパック背負って行っても、自分は見つからないはず。

 

インドに行く、起業する、NPOの手伝いをする

そうやってなにか探しているけれど、それは自分を探しているというよりは、自分の核になにもないから、せめて外見だけでも良くしようとしているだけなのではないかな。

 

自分が本当にやりたいことってもしかしたら、

家の庭で家庭菜園をするとか、映画を見るとか、歴史を調べるとか、そういった地味なものかもしれないでしょう。

けど、そういった自分を見つけてもカッコよくないから認めなかったり、重要視しなかったりしてしまう。そうすれば、本当にやりたいことはよりぼやけてしまいます。

 

インドに行く前に数日間フラットな環境や心理で、自分はなにをしている時が好きかなって考えてみる方が近道だと思います。(アメリカの長距離バスで13時間ぼーっとしているのも近い経験だったので、旅も悪くはないと思う。笑)