「自分したいこと・好きなことが分からない」の心理

自分のしたいこと・好きなことが分からない人って結構多い

自分探しの旅をする人はいまだにいるし、運命の人を待っているひともいる。

実際に、自分のしたいこと・好きなことを問われた時に自信を持って「これ!」といえる人って多くない気がしています。

 

特に大学生や、自分のキャリアを考え出した人はこういった思いを感じているのではないでしょうか。

僕自身、自分の求めているものが全く分からなかったし、就職活動をするときの多くの人がする「自己分析」も全く機能していなかったなと思い返します。

 

自己分析をするにも、自分の思考の枠の中で考えていては意味がない

僕の場合、就職活動をする際に「親に迷惑をかけないために、まずはそれなりの大手に内定をもらう」と考えていました。これはある意味、とても正しくて、兄がニートをしていた僕のバックグラウンドとしては必然であるような気がします。

そんななかで、卒業後は就職をせずに海外に進学する人や、デザイナーとして非正規で働くと明言している同級生を見ては、「自分とは違う」と言っていました。

 

この時点で「自己分析」なんて出来やしないですね。

 

本当の意味で自分を分析するなら、なぜそういった人たちは「自分とは違う」と思うのか、心の底にうらやましいという思いがあるのではないか、

そしてそれは「なぜか」を問うていく必要があるのだけれど。

 

文章にするととても簡素なことのように見えますが、こういった自分の思考の枠を超えられない人は多くいると思います。

実際にそういった可能性を広げる思考の方法や、心理の癖を考えるヒントを与えられる人もほとんどいない。これが僕は大学のキャリア教育の問題点だと考えています。

その人のキャリアを考えたときに、本当に必要なことは、その人自身が持つユニークさを引き出すことなのではないでしょうか。そのユニークさと社会性をうまく共存させるヒントを与えることなのではないでしょうか。

 

そして、大学生だけでなく、多くの人が自分の思考の枠の中で一生を終えていくのだと思う。

 

自分の好きなことはなに?

こう問われた時に自信を持って答えられない人は、一度自分の幼少期を思い出してください。できれば、簡単に思い出せないくらい幼少の記憶。

 

きっとそういった人たちは「自分の好きなこと以上に、すべきことがある」という思考を無意識のうちに身につけてしまっているのかもしれません。

たとえば、幼い時に絵を書くことが好きだったけど、「男の子は外で遊びなさい」と大好きな母親に言われ、「絵を書くこと」を捨てたことや、

 

もっと言うと、障害を持っている妹・弟のために遊ぶことを泣く泣く捨ててしまったこと。

 

極端な話かもしれませんが、そういった自分の感覚を捨てたことが、

「自分のしたいこと・やりたいことが分からない」の心理に繋がっているかも。

 

自分探しでインドにいくより、自分の過去の深いとこまで潜っていくほうが

自分は見つかるかもしれません。

 

過去でなくても良いのですが、自分の心の深い底まで探検して

ずっと昔に捨ててきたものを拾いあげて、きれいに磨いてあげることが、本当の自分に出会うひとつの方法かも。