自分とはなにか、自我の崩壊と再構築を考える

僕はずっと、その人の人生において幼少期に育った環境は大切だと思っていた。

10代で起業したとか、

フランスの大学でファッションを学んだとか、

ハワイで生まれ育ちモデルをやってるとか、

ずっと羨ましかったし、妬ましい気持ちを持っていた。

 

小さい子供は、自分がやりたいこと・ほしいものを選択するより、

他者、特に両親が期待することや、選択してほしいことを選ぶ傾向にあるらしい。

そんな心理の中で人が育つとしたら、家庭の影響はものすごく大きいものである。

そして、「持っている者」と「持たざるもの」は大きく違って育ち。

分かり合えないくらい、別の生き物として成人していく。

 

人間には、いくつかパターンがあると思う。

・家庭や両親に恵まれ、自分という個を尊重してもらい、愛を全身で受けて育った人

・環境に恵まれず、人を傷つけたり、自分を無碍に扱いながら育ち死んでいく人

この2パターンが多いと思う。

 

ただ、もしあなたが生きづらさを抱えていたり、

自分ってなんだろうという感覚をずっと抱えていたり、

病気を患い、もう変わりたいと願う人であるならば、

きっと

・環境に恵まれず、良くない思考パターンを身につけたけれど、本来の自分がそれを認めず、自我を自ら壊し再構築する人

というもう一つのパターンなのかもしれない。

 

そういった人が環境によって作られた自我を壊し、

本当の自分を発見し、自我を再構築して生き始めたならば、

ものすごいエネルギーに満ち溢れるし、周りの人を幸せにするのだと思う。

「両親が音楽家だから、音大を出てピアニストになりました」みたいな人では絶対に表現できないエネルギーを表現できる人になるのかもしれない。

 

そんな風に最近考え始めました。

今までの人生で少しも考えたことがなかった「自分の生きる意味」みたいなものを、少しずつ考え始めた。

自分の魂や運命なんて、スピリチュアルでバカバカしいとすら思っていたのに、

今はそういった「自分が生まれた意味」に従っていきたいと思っている。

 

バスカリアの本の中で、こういった話があるらしい

人が死に神の前に行った時問われるのは

「なぜ成功しなかったのか?」ではなく「なぜ自分自身を生きなかったのか?」である。

 

今の僕がそれを問われたらなんと答えられるだろうか。