「やめる」という選択肢は、自分をちゃんと知らないとできない

なにか自分が続けていることや、自分の仕事などを「やめる」ということにはとても勇気がいると思う。
初志貫徹というように、日本の文化では、物事を途中でやめるということが重罪のように語られることもある。
無理だと本当は気づいていることでも、「やっぱりやめた」ということができずに続けてしまい、そしてより苦しくなっていくということもありますね。

 

僕はさまざまなきっかけから、3年ほど前から心理学に関する本をたくさん読み、
どうしたら自分がより楽になれるかというのを考えてきました。
そして、自分の自己肯定感の低さや愛情飢餓感というものを、どうにか扱おうといろいろと試していました。
そしてカウンセリングも何度か通い、「自分を知ること」「自分に嘘をつかない」ということを意識し、日々の生活で少しずつ実践していました。
個人的には、日本人はもっとカウンセリングやコーチングを利用するべきだと思っています。僕としてもとても学ぶことが多かったです。

 

例えば会社で上司に飲みに誘われたとき、本当は疲れているのに断れない人って多いと思います。
もちろん、全ての誘いを断るわけではないけど、毎回毎回いやいや付き合う必要って本当はないです。
けど僕らの思考には「上司からの誘いは断らないべき」のような、「~すべき」という思考が強くあり、断れない。
それを続けていると、自分の心を無視し続けることになり、ストレスがたまり体調も崩していく…というように、
自分のことをちゃんと知らずに、社会に合わせ続けるとどうしても疲れてしまいます。
自分は本当は魚なのに、無理して空を飛ぼうとし続けるとどうしても上手くいかないことが多いはず。

そんなことを意識しながら生活していて、少しずつ自分を尊重できるようになっていたのに…


今回の異動と、適応障害でズタボロにされたような気分になっていました。

 

そして久々に、以前カウンセリングを受けていた先生のもとに再度足を運びました。
予約の段階で適応障害になったことは伝えていたのですが、実際に直接話し、
今回の経緯や、仕事を辞めることになったことなど一通り話しました。
そして先生からのひとことは…


「なんだ、もっと大変な状況かと思いました。順調にいっていますね!」
とのことで、びっくりしたのと、自分の過程を褒められてうれしくなりました。

 

というのも、なぜそのように感じたのかと聞くと
・辞める以前に、上司に相談したりと「ちゃんと人に助けを求められた」
・自分の体調不良にちゃんと気づくことができた
・転職活動といった「環境を変える努力」をできていた
・体調が悪くなった早い段階で「休む」という自身の手当をできた

ということのようでした。


以前の僕であれば、もっと頑張らなきゃ、責任を果たさなきゃと我慢を続けてしまい、
うつになっていたのではないかとも話していただきました。
振り出しに戻ってしまったような気持ちでしたが、ちゃんと成長出来ていた、ちゃんと進んでいたことが確認でき、自信にもつながりました。

 

メンタルヘルスの観点からいうと、愛情飢餓感が強かったり
「~すべき」という思考や、他者からの評価に自分の価値を見出していたりといった段階だと
「やめる」という選択ができないようです。
そして、自身のケアをせずに無理を続けることによって、本当に体調を崩し
取り戻すまでに時間がかかるほどのうつになっていってしまうのです。

 

他者にゆだねずに
自分を自分でケアし、大切にすることができる
そういったことができるのは「自分をちゃんと知っている人」であると思います。
恐怖に負けずに、勇気をもって自分を大切にするという選択を選ぶことが、安穏な日々の一歩だと信じています。