まさか自分が、職場でつぶれて、休職なんて

2019/3/31:追記

こんにちは、ブログを読んでいただきありがとうございます。

昨年職場の異動を機に、身体を壊し休職・転職した経験を書いています。

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昨年、4月の職場の異動で、業務や人間関係すべてが変わってしまった。

とにかく、早く馴染もうと、いつも以上に頑張っていたのに、気づいた時には心がぽっきり折れてしまい。適応障害をわずらってしまった。

30代に向けてこれからと思っていたのに、すべてが変わってしまって、人生で初めてレールから外れてしまったと不安になる日々です。

きっと日本でビジネスマンとして働いている全ての人に、僕のようになってしまう可能性があると思う。

自分の回復を記すためにも、少しでも自分と同じ経験をしている人が「勇気ある撤退」を選択できるように、ブログを書こうと思います。

 

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・まさかの人事辞令 3月で異動

人事の辞令は突然に…会社や組織で働いている以上、だれにでも可能性のある人事異動。もちろん僕も、いつかは異動になるのかなぁと思ってはいたけれど、本当に突然でびっくりした。

しかも…異動先は、若手がすぐに辞めてしまい、人が続かない部署として有名な部署でした。先月人が辞めたし、マンパワーも少ないからある程度業務がこなせて、若手の男性をということで、僕に白羽の矢が立ったようでした。

その部署には、人をいじめているAさんという女性とBさんという男性がいる。そして僕はAさんから仕事を引き取るために行くということでした…

その時は「だいぶ困ったなぁ、けど、きっと大丈夫だろう」と思い、とりあえず現状の部署の業務引継ぎを始めた…

後々聞いたのだが、「Aさんには若手の男を当てておけば大丈夫だろう」ということの人事らしく、まともな人事評価や育成を目的とした異動やジョブローテーションは意外と少ないものだなと思いました。

 

・引継ぎに追われる 4月

4月は前の部署の業務を後輩に引き継いでいった、といっても基本的に業務を一人で抱えるようには設計していなかったので、たいしたことはなかったのだけれど。

そして、平日の稼働日の半分は異動先の部署で業務を行っていました。

その時からなにか少しずつ違和感を感じていました

データベースに溜まっている顧客データをわざわざ手打ちでエクセルにしたり、使いもしないアンケートのデータを集計したり…自分の仕事の進め方とあまりにも違い、「前からこうやっているから」という価値観がすごく強い職場だなと感じていました。

思い返せば、この時から自分のスタイルと違うことをさせられていたのだけれど。

僕の性格上、「昔からのやり方」というものに価値を置くことができず、その業務の目的に沿って設計をしていきたいと考えていたので、「自身のスタイル・価値観」を押し殺して仕事をすることが、とてもストレスだったのだと今になって思う。

 

・違和感を感じながらも… 5月

5月からは本格的に異動し、オフィスも都内にうつりました。なれない満員電車や、ビルしかないオフィスなど非常に息苦しさを感じていました。

といっても前職の時も新宿で働いていたので、そのうち慣れるだろうと思い、ごまかしながら通勤していた。

このころから本格的にAさんとのペアで仕事を進めるようになったのだけれど、最初は旅行のお土産を渡したり、冗談を言ってみたりとだいぶ気を使いながら、業務を進めていました。

ただ、週末の出勤が非常に多くなり、業務のない土曜日もAさんに合わせ私も出勤となり、ストレスを感じていた。

基本的に週末は出勤、しかも7時出勤を強要され、金曜日に友人と飲みにいくことも、週末にキャンプにいくこともできなくなり、「自分の人生」が奪われていくようで辛かったです。

ただこのころは、まだ冗談を言って転職活動をする余裕がありました。

 

・おかしくなりだした 6月

7月に入ると私の部署の繁忙期ということもあり、本格的に忙しく、休みがなくなっていきました。前の部署でも夏の時期は休みが少なくなれているつもりだったけれど、それは人間関係や裁量権があったからだと実感しました。

とにかく週末の出勤が苦痛でしかなかったです。

Aさんの業務の進め方はとにかく細かい。その分無駄が多い…というか無駄を省き、だれでもできるようにしようという思いがなく、むしろ業務を複雑化することで、自分の地位を守っているようにみえる。

その「自分の人生の時間がない」「無駄を長時間かけて行う」「裁量権が全く与えられず、Aさんのやり方を少しでも外れるとネチネチ言われる」ということが非常にストレスでした。

この頃から夜寝られない日が増え、口数も減ったいたと思います。適応障害はストレスの発生から1~3ヵ月の間に症状がでるといわれますが、本格的な異動の5月から計算しても2ヵ月弱、まさにセオリー通りに体調を崩し始めました。

とにかく、なにか精神面や体調面で違和感を感じたら、自身の危険信号だと思いセルフケアを意識した方が絶対に良いです。

有休と取り休む、上司に相談し業務量を調整する、人事部に相談する、これらすべて自助、セルフケアです。日本ではこれらが「逃げ」と捉えられることがあるけれど、とても大切なセルフケアです。

 

・もう限界 7月

そして、7月に入ったあたりから夜寝れなかったり深夜に起きることが多くなり、オフィスで誰とも話さない日が増えていきました。また、オフィスで吐き気を感じ、トイレに駆け込むことも何度かありました。

そして、ついに7月中旬にストレスが限界にきてしまいました。オフィスでいつもならできる簡単な計算ができなくなったり、メールのタイピングができなくなったりとミスが多くなってしまい、人事担当に休職について話した。

そして週明けに心療内科に行き「適応障害」の診断書をもらって、会社を休むことに…

 この頃の主な症状は

  • 夜寝ることができない。寝られたとしても浅い睡眠で、悪夢を見る。
  • 朝が一番憂鬱な気持ちになる。
  • 職場にいてもいなくても不安感が強い。
  • 特定の人への恐怖感。
  • 職場での胃痛や吐き気。実際に戻してしまうことも多々。
  • とにかく逃げたい気持ちでいっぱい。

・休職し、とにかく休んだ8月

7月末に職場に行けなくなり、診断書を提出し会社を休み始めました。会社には一旦、有休をすべて使い切るまで休むこと、その後休職の制度を使うか決めることを伝え、休み始めました。

酷暑の中、職場に行かず空調が効いた家でずっと寝ていて、罪悪感や焦燥感があり、あまり良い気分ではなかったです。けれど、こうやって「リタイア」して休むということを人生でずっとしてこなかったので、ツケが回ってきたと考えてとにかく休みことを考えました。

適応障害になるような人は、とても責任感や「こうすべき」という思いが強いです。なので気を抜けば職場のメールを見たり、電話をしたりしてしまいます。

きっと人に迷惑をかけないようにと、生きてきたはずです。ずっと小さい頃からそうやって緊張しながら生きてきたので、急に休めと言われても上手くできないです。そしてその性格から、自分を苦しめて崩れてしまった。

人生に何回かは必ず休むこと、迷うことが必要なはずです。それを自分に許してこなかったのだから、今回はもう降参して休もうと自分自身に誓うことが必要だと思いました。

 

・少しずつ身体は楽になった9月

9月に入り少しずつ睡眠障害や不安感は薄くなってきました。心療内科の先生曰く、不安感というものが一番長く残るようです。けれど、ストレス源から離れれば少しずつ良くなっていきます。

これは自分がとても強く実感しました。体調が悪い時は、もう一生働けない、保険なども入れない、収入がなく貧困、など最悪のイメージが出てきますが、2ヵ月休んだ後はきっと良くなっていると信じて休むことが大切だと実感しました。